2011年3月11日。東日本大地震発生。
至って普通の、いつもと変わらない朝だった。
アムスの学生の家にいた私は、
前日のConcertgebouw orchestraの余韻に浸ったまま、9時過ぎまで寝ていた。
起きてすぐ、真っ青な顔してtwitterを見ていた学生が、
不安そうな声で、「先生・・・日本に地震が来ました!」と教えてくれた。
第一報を聞きつけた日本人の中にも、きっと同じことを思った人がいると思うが・・・
「日本で地震ねー。ま、いつも地震あるから、大丈夫でしょ!」
この時はまだ、それくらいにしか思っていなかった。
しかしその考えは、BBCの津波映像を見た瞬間に、間違いだと気づいた。
ありえない・・・・・ 日本じゃない・・・・・ 私、こんな地震、知らない・・・・・
私は、日本が大好きだ。
日本を離れ、オランダで生活するようになってから、気づいた。強く感じた。
私は、私の母国・日本が大好きなんだ・・・と。
だけど私は、帰れない。帰るわけにはいかない。まだ、帰れない。
だけど何もしないなんて、できない。
ここオランダで、日本人だからこそできることをしよう。
今こそ、日本のために、私を育ててくれた日本のために動くべきときなんだ。
そんな思いを持った人が集まり、募金活動をすることになった。
驚いたのは、主催者が日本人じゃなかったということ。
オランダ人・中国人・ポーランド人・フィンランド人・ドイツ人・・・・・
正直、驚いた。
日本の為に、日本に行ったことのない人が、一生懸命動いてくれた。
ありがとう。本当に・・・ありがとう。
週末2日間、道行く人に声をかけ、寄付を募った。
「家族は大丈夫なの?」「いい活動だね!」「応援してるよ」「日本、がんばれ!」
多くの人が、あたたかい言葉をくれ、何とも言えない、温かい気持ちになった。
そのイベントが終わった後、いよいよ日本人主催の募金活動が始まった。
まず、近くの村のオケに連絡をとり、募金箱の設置をお願いした。
日本人からのメッセージがほしいということで、軽くスピーチしてきた。
200人近くの聴衆の目の前で、英語でスピーチ。
手と声が、恐ろしく震えていたことは、まあ、言うまでもない・・・・・。
しかし、それを見た村に住むおじい様・おばあ様が、涙ぐみ、頷きながら私の話を聞いてくれた。
私の勝手な予想だが、声が震えていた為に、私が泣いていると思ったのではないだろうか。
ドモリすぎた私は、何度も「I still can't believe...」と言っていたのだから・・・!!
突然のお願いだったにも関わらず、募金箱は溢れんばかりのユーロ札でいっぱいになった。
コンサート終了までに集計し、募金総額を発表するということで、
オケの裏方さんが、一生懸命数えてくださった。
そしてコンサート終了後、一つの封筒に入れて、封をして渡してくださった。
家に帰って、封筒の中身を見てみると・・・・・
きっとたくさんあったであろう小銭を、送金しやすいよう、全てお札に換えてくれていた。
そこでも、オランダの方々の“心意気”を感じた。
そして、いよいよConservatorium Maastrichtの日本人学生主催のコンサート。
ロビーには、募金箱のほか、メッセージブック・地震関係の読み物・写真を用意。
演奏中は、背景で日本の風景写真を流し続けた。
『春の海』に始まり、『アシタカとサン』に終わる、素敵なコンサートだった。
【生きろ】というキャッチコピーで知られる 映画 もののけ姫の代表曲、『アシタカとサン』。
曲・歌詞・演奏・映像、その全てから生まれたパワーは、とてつもなく大きかった。
そこにいた人全てが、心打たれ、演奏後は大きな拍手で会場全体が包まれていた。
企画した日本人全員が、達成感と喜びと幸福感に満ち溢れているのが、見て取れた。
いい日だった。
私たちは、まだ日本に帰れない。
だからこそ、ここでできる限りのことをしたい。
ここにいるからこそ、できることを。
地震発生から、一ヶ月以上が過ぎた。
まだ行方不明の方々が、大勢いる。毎日のように余震も続いている。
食べ物・飲み物・薬・暖房器具・衣服・トイレ・仮設住宅を待つ日々。
津波で流された家・地震で壊れてしまった家。
廃棄物処理の方法。費用の問題。
不安な毎日の中、必死に生きている被災者の方々。
考えただけで、胸が締め付けられる。
私たちが集めた募金は、全体から見たら、わずかなものでしかない。
それでも、刻んだ一歩は大きくて、
今回の企画を通して結ばれたつながりは、忘れられないものになった。
「日本は一人じゃない」「世界はつながっている」今では強くそう思う。
信じて 共に生きること
そして 生まれる強さ
見上げて 遠く離れても
心をひとつに結ぶ愛 希望のそら