1コマ90分。
1週間10コマ。計900分。15時間。
プラス4コマ。計14コマ。計21時間。
かけること、4週間。
合計84時間。
私にとっての、仕事とは。
私にとっての、学校とは。
私にとっての、授業とは。
私にとっての、日常とは。
私にとっての、学生とは。
私にとっての、今年とは。
私にとっての、幸福とは。
学生にとっての、学校とは。
学生にとっての、授業とは。
学生にとっての、日本とは。
学生にとっての、喜びとは。
学生にとっての、教師とは。
きっと天罰だったんだと思う。
贅沢にも、帰国後のことばかり考えていた自分への天罰。
思えば、今年は奇跡のような出逢いに恵まれたスタートだった。
はなから日本語でしかコミュニケーションをとらない私に対して、
きらきらした眼差しと微笑みと、素晴らしい質問を常に与えてくれた学生たち。
授業の準備をしているときでさえ、学生の声や笑顔が浮かんでくる。
寝る時間さえもったいないと思えた。
その時間を使って、出来得る限りのことをしてあげたい。応えてあげたい。
そうやって、私の方が成長させてもらっていた。
教室へ行けば、そこは常にあったかい雰囲気で包まれていて、
授業前になるといつも緊張している自分でさえ、そこではリラックスできるほどだった。
「私の居場所」そんな言葉がふと過ぎったのは、つい最近だった。
学生に会いたい。
学生と話したい。
授業がしたい。授業がしたい。教えたい。
天罰だったら、もうかなり受けた・・・ もういっぱいいっぱい。
それでも魔の3月は、まだ終わっていなかった。
愛すべきあのメンバーで、あの教室で勉強できるのも、あと3ヶ月のみ。
実質7週間しか残されていない。
4年後の姿を想像して、頼もしくなったりしていたけれど・・・・・
その4年後に向かって、自分は一体どんなサポートができるかなと、
胸を躍らせて考えたりしていたけれど・・・・・
あと3ヶ月で、違う道へ進む学生もいて、
悲しくたって、笑顔で別れなければならない日が来るのだと気づいた。
学生にとって、私はどんな教師なのだろう。
みんなのモチベーションに応えてあげられたかな。
こんな大切な時期に学校へ行けなくて、みんなを困らせているんだよね。
もっと違う何かがあれば、日本語を続けるという選択肢も見つけてくれたのかな。
でも・・・・・続けてほしいと願うのは、日本人のエゴかな。
私はみんなの将来を応援しないと。
1コマ90分。
真面目な顔と、困った顔と、悩んでいる顔と、もちろん笑った顔と。
色んな表情に出逢える、奇跡の1時間半。
1週間10コマ。
準備時間は、その3倍以上。準備の時間も、まるで学生と一緒にいるかのよう。
想像が膨らみ、胸躍る、充実の時間。
プラス4コマ。
会話の特訓を、自ら申し出た学生とのトレーニングタイム。
教師対学生の枠組みを超え、人間対人間のコミュニケーションに喜ぶ6時間。
かけること4週間。計84時間。
私が ”失った” かけがえのない時間。
もう・・・・・・罰は受けたから。
教室に、帰りたい。
私に授業をさせてください・・・・・